人生と25歳。
先日、25歳になった。
世間的にみたらまだまだ若い。
けれど、考えてみたら
この世に生まれ四半世紀が経った。
人生100年時代とは言うが
100歳まで生きたとして、
人生の1/4を過ぎたわけだ。
あと3回繰り返せば人生の終わりを迎える。
正直、
100歳まで生きるなんて思ったことはない。
高校生の頃、ある夢を見た。
雄大な自然に1人立ち尽くす。
目線の先には一本の川があり
その向こうに無数に人影が見える。
影だ。
17歳を迎えた辺りから、
20歳の頃まで何度か同じ夢を見た。
何回見たかは分からない。
途中、気づきがあった。
同じように思えていた風景だったが、
僕と川の距離が近づいている。
それが俗に言う
三途の川というものなのかは分からないが、
仮にそうだとしたら、川の向こうに見える影は
亡くなった人たちなのだろう。
そして、夢の中で感覚的に感じた。
このペースで夢を見て、
このペースで近づく川の距離を考えると
30歳あたりで僕は川を越える。
幸い、その夢はもう5年近く見ていないが、
実際、30歳あたりで人生を終えるとしたら
残り5年。
誤差を考えても10年と言ったところだろう。
人はいつ亡くなるか分からない。
人は必ず人生の終わりを迎える。
だからこそ、生きていることに意味がある。
生きることに意味を見つけようと思える。
ある映画の中で、『人はなんで死ぬの?』と
子供が大人に問うセリフがあった。
映画の中で明確な答えはなかったが、
僕なりの答えを考えた。
きっと、
この世に生まれてくる生命には限りがある。
この世に生きる生命には限りがある。
誰かが生まれてくるには
誰かの生命が終えないといけない。
そうやって命は繰り返されていくんだと。
去年、友人とこんな会話をした。
『若くして癌になったらどうする?』
例えば余命5年と宣告される。
手術で10年までは伸ばせる。
5年の延命。するか、しないか。
お互いの答えは『しない。』だった。
プラス5年の命を
最後まで変わらず全うできるなら別だが、
最後の2年くらいはきっと苦しい生活になる。
身体に傷を与えて全うできる3年の延命は、
僕は選ばない。
ならば、潔く運命を受け入れ
病気と共存し、次の命へ繋げようと思う。
命は繰り返される。
誰かの心の中に僕がいればそれでいい。
生まれた時は泣いて生まれた。
亡くなるときは笑顔でいたいと思う。
そのためには、
死ぬまで楽しむ人生であるしかない。
まだまだ若い25歳で、
考え方も精神年齢も子供だろう。
だからこそ自分の成長と、
これからの人生が楽しみだ。
毎年、祝ってくれる、
メッセージをくれるみんな、
ありがとう。
25歳、スタート。